|
2005年 01月 30日
久々の休日でしたが、相変わらずドタバタの1日。 合間を縫って、我が家から徒歩10分ほどのところにある自宅ショップ「fudoki」に行って来ました。 「fudokiさん」のある岡津町・・・実はとても古くから栄えていた村なんです。 そんなfudokiさんだから趣きがあるのかもしれませんね。 ~以下 横浜市泉区ホームページより抜粋~ 古文書では、鎌倉鶴岡八幡宮所蔵の文永7年(1270)12月のものに岡津の地名が見え、ついで永仁6年(1298)の文書に飯田の地名が記されています。これにより、両地域とも水田地帯として早くから開けていたことがわかります。ちなみに鎌倉幕府成立前後、飯田には飯田五郎家義という武士が住んでいて、「平家物語」や「吾妻鏡」にも、その名前を見ることができます。 小田原に北条氏がいた頃は、上飯田を平山源太郎、下飯田を川上藤兵衛、和泉を笠原藤左衛門、岡津を太田大膳亮といった武士が納めていました。それが江戸時代に入ると、上飯田は佐野、下飯田は筧、和泉は松平、岡津は黒田、阿久和(新橋)は安藤、中田は石巻といった旗本の領地となります。石巻の祖は小田原北条氏に仕えた有力な武士・五太夫康敬であり、江戸時代初期に岡津にいた彦坂小刑部元正は代官頭の一人でした。 現在の泉区は、江戸時代まで相模国鎌倉郡(一部は高座郡)と呼ばれ、明治時代になると神奈川県鎌倉郡に改まりました。 ■明治22年市政、町村制の実施により横浜は市制を施行。中田・和泉・上飯田・下飯田は合併して中和田村、岡津・阿久和・上矢部・名瀬・秋葉は合併して中川村になる。 ■昭和14年戸塚区発足。中川村、中和田村などが鎌倉郡から横浜市に編入。 ■昭和61年泉区発足 現在に至る
by ellie_san
| 2005-01-30 01:05
| ぽつりぽつり
|
ファン申請 |
||